らくごくら

2012年01月エントリー一覧

さまざまな要素 

2012年1月10日 投稿者:日高 美恵 カテゴリ:らくごくら

「繁昌亭は日々成長する小屋だなぁ」といつも思う。手探りでスタートした小屋だからこそ、無限の可能性が秘められている。歴史を重ねていく過程の中だからこそ、失敗があってもやり直しが許されるし、それをチャンスとしてもっと大きな飛躍につなげていくことができる。開席してからというより、開席する以前から、落語家だけでなく、スタッフの人や商店街の方々、関係者、そしてお客さんの全方向からの大きな力が繁昌亭をぐっと押し上げている。それぞれの胸に浮かぶ「こうしたらどうだろう」「こんなことがあったらいいのに」という声を聞き流すのではなく、きちんと受け止める柔軟性があって、実現させる実行力、早急にやり遂げることのできる即戦力の存在が繁昌亭の成長を支え続けている。

「存在を忘れさせない」ということはとても大切なことだし、それを実践し続けることは難しい。その意味で繁昌亭の動きはすごいと思う。落語を中心とした定席の昼席、それぞれの落語家が腕を競い合う落語会の場としての夜席という大きな柱を中心に、季節ごとにさまざまなイベントが行われている。周年記念を盛大に祝うほか、昼席では餅つきなどの行事や成人の日、バレンタイン、11月22日の「いい夫婦の日」などの記念日に特別なプレゼントが用意される。着物を着て来た人にはキャッシュバックもある。そして、新しい試みがあるたびに記者会見が開かれる。常時、繁昌亭の話題が新聞やテレビなどで紹介され、行事に加えて繁昌亭の存在自体をアピールすることにもなる。渡って行きやすい繁昌亭への橋がいくつも用意されているのだ。「営業している」だけでなく、発信しなければ多くの人の心に届かないということを知っているからこその妙案だろう。

でも、お客さんを招くだけでは結果にはつながらない。落語に加え、目に見えない心配りもそこかしこに施されている。前座さんがつとめることもあるが、上方の落語会ではお茶子さんと呼ばれる女性が座布団やメクリをかえす。繁昌亭の舞台裏には何色もの座布団が用意され、それぞれの演者の好みに応じた色の座布団をお茶子さんが高座に運ぶ。着物の色に合わせてというのはもちろんだろうが、当日の演者の気持ちや雰囲気などによっても選ばれる色は変わるだろうし、その演者の気持ちの高揚は演じる落語にも反映されるだろう。お茶子さんはどの人もみんな可愛くて、出てくるたびに明るく、和やかな気分になる。最近は三味線さんや鳴り物方とともにお茶子さんの名前が明記されているパンフレットも多いので、みなさんおなじみのお茶子さんも多いだろう。落語会が多く開かれるシーズンでは繁昌亭を問わず、落語会の掛け持ちをしているお茶子さんもいて驚くことがある。“誰か”ではなく、“この人で”というお茶子さんのポジションの高さの現れだろう。

また、繁昌亭の内外には四季折々を感じてもらおうという思いでスタッフの人が季節に応じた飾りつけをしている。来場者は季節ごとに変わる風景を見、寄席で演じるネタもひっくるめて季節を楽しむことができる。週替わりの昼席では季節に合った噺を演じる趣向なども行われている。12月12~18日には「忠臣蔵」特集と銘打ち、連日「忠臣蔵」にゆかりのある噺が演じられた。「五段目」(染丸)、「長屋浪士」(梅団治)、「AKO47~新説赤穂義士伝」(八方)、「蔵丁稚」(米団治)、「淀五郎」(雀三郎)「質屋芝居」(春之輔)、「中村仲蔵」(新治)というラインナップだ。

「長屋浪士」は落語作家の小佐田定雄さんの新作、「AKO47~新説赤穂義士伝」は八方さんがなんばグランド花月で見た中川家の漫才をヒントに作った新作だ。大勢で一人を討つのは卑怯だと後世の人に思われないために、赤穂の四十七士が一対一で戦う一人(センター)を人気投票で決めるというAKB48と「忠臣蔵」をパロディにした爆笑篇だ。八方さんはご自身の稽古場兼寄席「八聖亭」で毎月ネタおろしの会をされていて、この「AKO47~新説赤穂義士伝」は今年6月にネタおろしをした噺だ。私はネタおろしを聞いていて、おもしろいと思ったのだが、ご自身はあまり納得がいかず、終演後には「もう二度とせえへん」とおっしゃっていた。だが、その後、手を加えてバージョンアップさせ、今年のなんばグランド花月での初の独演会では“目玉”のネタとして登場させるほどに仕上げていった。八方さんはいつも、「最初にあかんと思ったネタほどあとでいい持ちネタになるねん」とおっしゃるが、この噺もまさにその一作。落ち込んだことをバネに大きく進化させる姿にはいつも驚かされる。そのネタが繁昌亭昼席の「忠臣蔵」特集に並べられるのはすごいことだと思う。

「忠臣蔵」特集以外に、同じ噺を連日違う人が演じる“聴き比べ”ともいえる企画や女性の落語家を中心にラインナップした週など恩田支配人のアイデアで昼席でも多彩な趣向が用意されている。寄席は基本的にネタ出ししないので、当日でないと何のネタが演じられるのかわからない。出番によって持ち時間は決まっているから、演者は前に出た人のネタを見て、限られた持ちネタを即座に選び、持ち時間の枠内で演じることになる。長めのネタでもうまく調整しながら時間内に演じている姿をみるといつもすごいなぁと思う。目の前に掲げられている時計を意識し、時間を考えながら演じている人もいるだろうが、いつも「さすがはプロ!」と感心してしまう。定席のスケジュールを見るだけだと同じメンバーが並んでいるだけのように思えるが、趣向があると日々違う色合いがあって楽しいし、日々変わるセッションみたいなものだと考えると、同じメンバーでもぐっと立体感あふれるものに思える。一門によって芸風も違うし、もちろん人によって考え方ややり方も違う。それぞれがぶつかりあい、どんな化学反応が生まれるかを楽しめるということが寄席の楽しみかもしれない。

あたらしいらくご(1)

2012年1月10日 投稿者:日高 美恵 カテゴリ:らくごくら

2011年12月13日に上方落語協会が募集する「上方落語台本」の入選作が発表された。これは将来に残る新作落語を一般から広く公募するもので、繁昌亭のオープンを機にスタートし、今回で4回目を迎えた。毎年2月から8月までの半年間の間に寄せられた落語台本が上方落語協会所属の落語家と繁昌亭の恩田支配人らによって選考され、毎回、入選作が繁昌亭の夜席で落語家によって実際に演じられる。

初回が440編、2回目が235編、3回目が245編、そして今回は300編の新作落語が全国から寄せられた。2回目からは一人の応募が2編までに限られたため応募数が減っているが、これだけの作品を読み、その中から入選作を選ぶのは並大抵ではないだろう。選考は1編に付き、必ず2名の選考委員が目を通し、ランク分けして選んでいく方法をとっている。今回は300編のうち、38編が二次選考に残ったが、結局、大賞は3年連続で見送られた。前回から選考に参加している桂小枝さんは「(選から)もれている中にも素晴らしい作品があって、残念に思っています。このまま眠らせてしまうのはもったいないという作品もありました」と話していた。同じく、前回から選考委員を務めている月亭八方さんは前回の会見で「どの作品を見ても見事なほど落語を愛していると感じました。それぞれ、思いを持って(入選作を)選んだと思います」と苦渋の選択を語っていた。

もちろん、選考委員のセンスや趣味、考え方も大きく作用するだろうが、自らが演者だけに、読み物ではなく“演じるもの”としての客観的な選択に狂いはないだろう。選考委員に名を連ねる落語家は桂三枝上方落語協会会長を始め、笑福亭福笑さん、月亭八方さん、笑福亭仁智さん、桂小枝さん、桂あやめさん、桂三風さん、月亭遊方さんの8名で、自分で新作を創り、演じる人が大半だ。読み進むうちに、「このセリフはこの方が」とか「ここにこのシーンはいらないのではないか」など自身で作る体験と重なり、「自分なら」と思うこともしばしばあるだろうと思う。今回、三枝さんは大賞が出なかった要因のひとつに「手を加えれば形になるものはあるんですが、手を加えなくても落語として残るものがない」と話していた。なかなか厳しい基準だと思ったが、「レベルは上がっています。高望みしているかもしれませんが、もうあと一息だと思います」という言葉に創り手としてこの賞への妥協を許せない真剣さが感じられた。

会見で選考委員がしばしば口にするのが「マクラまで書いていたり、セリフが長すぎたり、登場人物が多すぎることがある」ということだ。出版されている落語台本などにはマクラも書かれているし、それをお手本にしていたら、マクラも書かないといけないと思う人がいるだろう。読む分にはいいかもしれないが、実際に高座で演じる時には登場人物が多いと演じ分けも難しくなってくるし、聴いている方もわかりにくい。セリフが長すぎるとリズムやテンポも変わってくるだろうし、技術が要求され、誰でも演じることができるというわけにはいかない。また、ストーリーよりギャグを重視して言葉遊びに終始した作品もあるという。落語台本は書いて終わりではない。「書く」ということ以上に実際に観客が聴いた時にどうなのか、演じ手にとってはどうなのかが重要となる。まずは「落語を見る」「落語を知る」ことが前提にあるということが落語台本と文学などの読み物との違いだろう。

選考委員の福笑さんは「(台本は)シンプルなものがいいと思います。その方が落語家も変えやすいです」と話している。演じ手が取捨選択して噺を膨らませ、築き上げていくのも落語の面白さだろう。噺と演者、そして目の前の観客とのセッションで落語は創り上げられていく。今日のお客さんにはこのギャグを入れたほうが受けるとか、ここは抑えて演じておこうということを空気で察知し、落語家自身がその場に応じて噺を演じ分けていくということを知った時はほんとにすごいと思った。もちろん経験や鍛練で磨かれた技でもあるし、それはまた高座に上がり続けるためには必要不可欠なことでもある。古典落語も時代や人と共に進化しているし、一言一句習ったままに演じたとしても、演者と観客で作る空気感が起こした化学反応で、その人のそれまでの落語とも、ほかの演者のものとも違う“別の一席”が生まれている。だから生の高座に向き合うたびにいつも「落語は生きている」と実感する。

入選しなかった応募作品の中にも、「部分部分で光るものがあって、ここは使えると思う箇所がある」と小枝さんは言っていた。応募作は上方落語協会に帰属し、保管されているので、落語家はこれまでの作品を自由に閲覧することができる。1から落語を創るのは容易ではないが、応募作の中に新しい落語のヒントを見つけるかもしれないし、自分の相性にあった作品が眠っているかもしれない。応募作の中から自分に合った落語を見つけて演じる“発掘落語会”もすでに開かれている。自身で新作を創ることのできる人もいれば、自身で創ることはないが、古典やほかの人の創った噺を見事に演じる人もいる。散りばめられた鉱石を見つけて磨き上げ、光らせる能力を持つ落語家もいるだろう。作家としての能力、噺を演じる能力、プロデュースし、演出する能力。その複数を持ち合わせる人ももちろんいるが、それぞれが自身の個性と能力に合わせて独自の世界を紡いでいけば、限りない個性の輪が広がっていくだろう。

あたらしいらくご(2)

2012年1月10日 投稿者:日高 美恵 カテゴリ:らくごくら

学校の先生、会社員、主婦など落語台本に応募する人もバラエティに富んでいる。時間に余裕のある年配の方がやはり多いが、高校生の応募も以前あった。今回の応募作の約6割が関西圏から、3割が関東圏からのものだが、北海道から九州まで応募者のエリアは幅広い。加えて今回はオランダ在住の日本人女性からの応募もあったそうだ。CDやDVD、インターネットなどの発達で遠方の人でも気軽に何度も上方落語を楽しめるようになったことも多くの人が落語台本を書く要因の一つかもしれない。

毎年、入選作や最終選考に名を連ねる“常連さん”が複数いるし、放送作家やタレント、漫才師の人の応募も目を引く。「2丁拳銃」の小堀裕之さんは上方落語台本だけでなく、東京のコンクールでも受賞歴がある常連の一人で、受賞作の小堀作品はすでに何人かの落語家によって各所で演じられている。入選には到らなかったが、今回、ある人気漫才師の作品もかなりいいところまで残っていたそうだし、前回はタレントの杉岡みどりさんも入選を果たしている。自身が演者だけに、組み立て方やコツなどがわかっているのだと思う。最近は芸人さんに限らず、素人の人で落語を演じる人も多く、その中には自作の落語を演じて好評を博している人も多くみられるようになった。

それぞれの職業、それぞれの生き方を軸に落語を創るとその幅もぐっと広がるだろう。実際の経験というのは強い。あまり専門的すぎては受け入れにくいかもしれないだろうが、ほかの人では気づかない独自の視点と経験や知識がリアリティを持たせ、新鮮さや面白みが増すのだろうと思う。そういう意味では落語家に転身した「世界のナベアツ」改め桂三度さんが創る新作落語も今までのものとは違ったタイプの落語を生み出してくれそうで、大いに期待してしまう。

「10年先、20年先もできるような、練り上げたらおもしろくなるような作品を待っています。身の回りにあるようなものをテーマに噺を構築してもらえたら」と三枝さんは話していた。「ストーリー展開があること、テーマがあること、おもしろいものがあって、今までになかった形、サゲがすとんと落ちること」というのが前回、三枝さんが入選に向けて挙げた条件だ。よく考えると、これはそのまま三枝落語に当てはまっている。“創作落語の天才”である三枝さんが創る落語はとても身近で、普遍的だ。身近なだけに自分にも作れそうに思えるが、三枝さんレベルの作品を作るのはかなり難しい。創ることと演じること。その両方の才能を備えているのは本当に一握りの人だ。

その意味においても、落語作家の存在は重要だ。そしてその筆頭は何と言っても小佐田定雄さんだ。亡くなった桂枝雀さんにいくつもの名作を提供し、その後も多くの落語家に新作を書いてきただけではなく、米朝師匠も厚い信頼を寄せ、多くの落語家が自身で演じようと思う落語の見直しや再構成をする際にアドバイスを頼んでいる。親切で気さくな人柄で多くの人から信頼を受け、誰からも愛される唯一無二の存在だ。小佐田さんが会社員をやめ、落語作家に専念されなかったら今の上方落語の状況はどうなっていただろうと思うこともしばしばだ。

これまでに数多くの落語を創ってきた小佐田さんだが、時代を古典落語とほぼ同じ時代に設定して創ることがほとんどだ。中途半端な時代に設定すると時代の流れに遅れてしまい、かえって古臭く感じられるという。落語家が増える中、小佐田さんが急務と感じ、友人の荻田清さんとタッグを組んで2009年から始めたのが「超古典落語の会」だ。江戸時代の咄本や明治時代の速記などから、現在では上演されていない噺を発掘し、現代に蘇らせ、落語家が実際に演じるという試みだ。荻田清さんは小佐田さんとは大学時代からの友人で、歌舞伎などを研究する大学教授が本業だ。2008年に久しぶりに二人でお酒を飲んだ時に小佐田さんがこの企画を提案し、実現することになった。

二人が最初に決めたことは「珍品」はやらないということ。「できるだけみんなができるものを創ろう」ということで演者とも相談し、著作権もフリーにしているという。「気に入った人は誰でもやってください」という粋な心意気だ。元ネタの発掘は学者である荻田さんが担当。そして、荻田さんはこれを機に落語を書き始めた。大学で落研に所属して高座の経験があり、落語の研究もしていた荻田さんだけにツボは心得ている。この会は2009年秋にスタートして以降、年に約2回を開催するスタンスで続けられている。小佐田先生、荻田さんの二人で始めたが、途中から落語作家のくまざわあかねさんが加わり、今年の2月で5回目を迎える。毎回4席、2月の公演分も加えるとトータルで20席が生み出されることになる。半ページくらいの元本から出来上がった落語の素晴らしい出来ばえに驚かされることもしばしばだ。この会で生まれた落語が各所で演じられるなど広がりもみせている。

この会は「レベルを保つ」ことを基本に、当初から5回でいったん区切りをつけることを決めていたそうだ。第一次の「超古典落語の会」は2月の公演でいったんピリオドを打つが、元ネタが集まり次第、再始動することになっている。膨大な本の中から使えるものを探し出す作業はたいへんだが、早々の再開を待ちわびるファンも多い。現代を描く新作は演じる期限が限られるものも多いし、演じることに抵抗がある落語家も多い。だが、この会で作られた噺なら「昔あった落語だから」という理由で手掛けるハードルもぐっと下がる。時代設定といい、内容といい、古典でピカイチの腕を持つが新作には二の足を踏むという演者も遠慮なく演じることができるだろう。「超古典落語」は色褪せない新作だ。今までの新作とは違う位置に立ち、誰にでも門戸を開いた「超古典落語」という分野の広がりを願ってやまない。