会のあり方
会のあり方
2011年12月14日 投稿者:日高 美恵 カテゴリ:らくごくら
芝居噺などのマクラで演者が、「歌舞伎と落語では入場料が一ケタ違います!」と入場料やお客さんの服装の差を比較して笑いを取ることが多い。そのマクラの通り、歌舞伎の入場料が高額なのに比べて落語会の入場料はとても安く、断然足を運びやすい。舞台上の演者1人で世界を創り上げる落語に比べて、歌舞伎は豪華な衣装や舞台セット、多くの役者陣を必要とする別の芸術だというのを承知の上で、それも笑いに変え、“落語は庶民の芸”という親近感を持たせてしまう落語家はすごいと思う。
上方の落語会では大御所が並ぶ会でも前売りならだいたい4000円くらいまでという価格設定が多い。以前は入場料ももっと安かったが、最近は上方でも落語会の入場料が高額化してきている。毎年年末に開かれている桂文珍さん、桂南光さん、笑福亭鶴瓶さんの三人会「夢の三競演」の入場料は消費税込みで6300円だ。開催当初、落語会にしてはあまりの高額に物議をかもした。当時、米朝師匠が出演する一門会でも4000円くらいまでだったので、米朝師匠から「ええ値とるなぁ」と言われた南光さんは冷や汗をかいたと言う。これは芝居や音楽の公演なども考慮に入れて設定された入場料だが、破格の値段にも関わらずチケットは即完売。「このメンバーならこの料金でも仕方がない」というのが観客の答えだったのだろう。その分、この落語会はスペシャルだ。会場に着いた時から「夢」の世界の扉が開いている。入り口には幟が立ち、若手の落語家が座席への案内役をつとめる。主役の三人が全力投球で挑むのはもちろんだし、セットも豪華だ。会のラストには当日会場にいる落語家全員がダンスを踊るなど、会全体がサービス精神にあふれた仕上がりになっていて、年に一度、年末のこの会を心待ちにしているファンも多い。
独演会もキャリアによって入場料は変わってくるが、前売りで2000円から4000円くらいまでだし、勉強会なら前売りで1500円、2000円くらいといたってリーズナブルだ。入場料が500円という落語会もあるし、無料の落語会だってある。天満天神繁昌亭の昼席は色物も交えて10組が出て、3時間以上楽しめるのに前売りは2000円。芝居やコンサートに比べると断然安い。歌舞伎や芝居に行くたびに、この一回で落語会に何回行けるだろうと反射的に考えてしまう。入場料が安い上に、抽選会も付いているという会も多い。支払った入場料以上のものが抽選で当たった時など嬉しい反面、申し訳ないという気持ちにもなってしまう。「勉強会は入場料が安くても仕方ない」と言われればそれまでかもしれない。他ジャンルの古典芸能の方から、「落語は勉強会でお金を取る」と苦言をいただくこともある。だが、勉強会と言ってもかなり質の高い会だってあるし、“勉強会”という一括りでも、演者によって意識は全然違うのだと思う。
ネタおろしをする、持ちネタの虫干しをする、研鑽のために続ける。勉強会を定期的に長く続ける人もいれば、特定の会を目指して階段のように積み上げていく人もいる。自分が中心となって毎回ゲストを招いて開く、同期や同じ一門で開くなど人によって勉強会への向き合い方はさまざまだ。本人にとって“勉強会”のつもりでも、お客さんにとっては“勉強会”以上の会だってある。その落語家さんを生で見る、その高座に立ち会える一期一会を幸せに感じて“勉強会”という位置づけの会へ足を運び、その成長を目の当たりにし、演者とともに時間を過ごすことに喜びを感じる。京都府立文化芸術会館の3階和室で定期的に続けられている「上方落語勉強会」では毎回、落語作家の小佐田定雄さんとくまざわあかねさんが交互に書く新作を演者がそこでネタおろしし、演題を当日の観客が決めるスタイルをとっている。新作の名づけ親になるなんて、とても素敵なことだし、その噺にもぐっと親近感が湧く。新しい落語が生まれ、命名される瞬間に立ち会う臨場感は代えがたいものがあるだろう。
“勉強会”の時に演者がネタおろしに挑んでうまく行かなかったり、実験的なものに挑戦する会で自分の思惑と違う結果に終わることもあるだろう。忙しい中、時間を割いて行った会が思っていたのとはかなり隔たりのある状況で「時間を返してほしい」と悔しく思うこともある。だが、振り返ってみて、その会に立ち会えたことが貴重に思えたり、「あの時はあんなだったのに」とその変わりようを喜ぶ時が来るかもしれない。若手の人が成長していく段階を伴走する楽しみもある。そんな可能性も何もかもをひっくるめて勉強会に足を運ぶ落語ファンも多いと思うし、それが本来の落語ファンの姿だと思う。
だが、「今日はあかんかったな」というのは落語ファンにのみ通用する言葉だ。音楽や映画ならこのコンサート、この作品が面白くないと思うことはあるが、もう二度と映画やコンサートに行きたくないとは思わないだろう。だが、初めて行った落語会が自分にとって面白くなければ、「落語自体が面白くない」という固定概念が脳裏に焼き付いて、もう落語会には足を運ばなくなる。最初に見た落語が自分に合わなくて、落語を見なくなることはとても残念なことだと思う。そのことをよく知った上で、「”ブーム”と呼ばれる落語熱が高まり、落語初心者が多く訪れる時にこそ頑張らなければ」と一席、一席を全力投球で演じた落語家も多い。前だけでなく、足元をしっかり見て走るその姿に、応援しながら伴走するファンも増える。そしてそのファンの存在があってこそ、目の前に続く長い落語道を踏み外すことなく走っていけるのだろうと思う。


