らくごくら

繁昌亭のこと2011(3)

繁昌亭のこと2011(3)

2011年11月4日 投稿者:日高 美恵 カテゴリ:らくごくら

変わってきたのは人のつながりばかりではないと思う。ネタ自体も変化してきている。戦後、落語家の数が激減し、危機感を持った上方落語の四天王はネタ数を増やすためにそれぞれ別の師匠に別のネタを習いに通ったそうだ。そして、「ネタを増やすためには定席が必要だ」ということを松鶴師匠がおっしゃっていたそうだ。続けて寄席を訪れるお客さんがいることを思えば、1週間同じネタを演じることはできない。繁昌亭の場合、全員の高座が放送されるわけではないが、インターネットで昼席を楽しめる「ライブ繁昌亭」の放映があり、連日見ている人がいる。同じ演者の同じネタでも日によって演じ方が違うだろうが、見る側はやはり違うネタを望む。また、演者が違うと言っても、毎日同じ演目が出るより、違うネタを見たいと思うだろう。持ちネタの少ない人はネタの開拓が必至となるし、持ちネタに自分の個性を入れて唯一無二のオリジナルバージョンに磨きをかけている人もいる。また、連日高座に上がることでネタも日々、進化していく。

 落語のネタには“お家芸”と呼ばれてその一門のみが演じるネタがある。戦後、落語家が激減した時にはネタ数を増やすために東奔西走し、一門以外の師匠のところにも習いに行っていたので、“お家芸”でもほかの一門が演じるようになったネタも多いが、「これは笑福亭のネタやから」とか「米朝系のネタで」などの言葉を聞くと、伝統やネタのルーツになるほどと感慨深く思うことがある。一門でネタを囲い込んでしまうと演じる人がいなくなり、滅んでしまうという危惧もあったのだろう。今は一門を越え、ネタが幅広く演じられることが多くなったように思う。

“お家芸”とは別に、あまりにも素晴らしく、ほかの人が演じるのがはばかられるネタもある。落語会ではネタがかぶるのを避けるために、趣向の会をのぞけば、必ず別の種類のネタを演じるというルールがある。旅ネタが出たらそのあとに出る人は旅ネタをしないし、丁稚が出てくるネタが出ればもう丁稚の出るネタはできない。また、同じような展開のネタはしないなど演者が増えれば増えるほど後に出る人の演じるネタは限られてくる。寄席ではあらかじめネタ出しをしないので、トリの人は自分より前に出る人が演じたネタ以外の噺をしないといけない。ネタ数に加えてネタの種類の多さが求められるのだ。また、前に出る人は、後にでる先輩の十八番ネタやその日に演じるネタにかぶらないネタを演じる配慮が必要となってくる。持ちネタの少ない若手たちは新しいネタの稽古に熱心だ。その成果は舞台で現れていて、実践の大事さを痛感する。

「ちりとてちん」や「タイガー&ドラゴン」などの一連のドラマや映画の人気と繁昌亭の開席がちょうど重なって、上方にも“落語ブーム”が訪れた。繁昌亭は大入り続きで落語会も増え、入門者も増えた。最初はこのネタ、それができるようになったらこのネタ、というようにネタの稽古にもステップがあって、それを飛ばして一気に大ネタに挑むとほころびが見える。何事も基礎が大事ということだろう。新しいネタを必要とするのは若手だけでないが、ネタ数を増やしたいと願う若手は師匠や兄弟子以外にほかの一門の先輩のところにも足しげく稽古に通っている。「この噺はこの人」という十八番ネタを見聞きして、積極的に習いに行っている姿に感心することもしばしばだ。当初は演じ方や流れを習った通りにするので「これはあの師匠につけてもらったネタやな」というのが見ていてわかる。だが、しばらくするとそこに自分なりの工夫を加えていたりして、ネタを自分の手元に引き寄せていく姿は立派だなと思う。だが、「この噺はこの人!」というネタで、長くほかの人が演じない噺を若手の人が演じる姿に遭遇すると時代は変わってきたんだとしみじみ思う。

必要に迫られてということもあるだろうが、先輩たちの下に稽古に通う若手落語家の姿を見ていると、受け入れてくれる先輩がたに恵まれていると思う。かなりの若手でも春団治師匠や大御所の師匠連に稽古をお願いしている。稽古をつけることは時間的にも体力的にもたいへんだろうが、師匠連も嫌がることなく応じていらっしゃる。同年代の者が行くと聞けば、自分もと克己することもあるだろう。繁昌亭でいろんな一門の落語家の高座を自分の目で見て幅広くネタを知り、本人にお願いして習うことができるというのも繁昌亭効果の一つではないかと思う。普通は習う師匠や先輩の自宅に稽古に通うのだが、昼席の前に舞台上や近くに上方落語協会が借りている部屋で稽古をつけてもらうことも多い。稽古の後にそのお宅で芸談や一献という楽しみはないが、効率のよい新しい姿だろう。

ネタの開拓は古典落語ばかりではない。落語が並ぶ昼席では古典落語に混じって新作落語が演じられることも多い。新作だと空気も変わるし、その人オリジナルの作品ならほとんどほかの演者のネタとかぶらないからだ。新作は昔から作られてきていて今や古典となっているものもあるし、少し前の時代を舞台に作られた“新古典”と言われる噺や演じられなくなった噺を蘇えらせた復活ネタもある。三枝会長の新作はいつの時代にも受け入れられる普遍的な作品で、繁昌亭だけでなく東西の落語家が多く演じる人気作となっている。古典落語を今風に改作して演じる人もいるし、自分で新作を次々生み出す若手も増えている。ネタ数だけではない中身や幅の広がりも見逃せないところだろう。