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あたらしいらくご(2)

2012年1月10日 投稿者:日高 美恵 カテゴリ:らくごくら

学校の先生、会社員、主婦など落語台本に応募する人もバラエティに富んでいる。時間に余裕のある年配の方がやはり多いが、高校生の応募も以前あった。今回の応募作の約6割が関西圏から、3割が関東圏からのものだが、北海道から九州まで応募者のエリアは幅広い。加えて今回はオランダ在住の日本人女性からの応募もあったそうだ。CDやDVD、インターネットなどの発達で遠方の人でも気軽に何度も上方落語を楽しめるようになったことも多くの人が落語台本を書く要因の一つかもしれない。

毎年、入選作や最終選考に名を連ねる“常連さん”が複数いるし、放送作家やタレント、漫才師の人の応募も目を引く。「2丁拳銃」の小堀裕之さんは上方落語台本だけでなく、東京のコンクールでも受賞歴がある常連の一人で、受賞作の小堀作品はすでに何人かの落語家によって各所で演じられている。入選には到らなかったが、今回、ある人気漫才師の作品もかなりいいところまで残っていたそうだし、前回はタレントの杉岡みどりさんも入選を果たしている。自身が演者だけに、組み立て方やコツなどがわかっているのだと思う。最近は芸人さんに限らず、素人の人で落語を演じる人も多く、その中には自作の落語を演じて好評を博している人も多くみられるようになった。

それぞれの職業、それぞれの生き方を軸に落語を創るとその幅もぐっと広がるだろう。実際の経験というのは強い。あまり専門的すぎては受け入れにくいかもしれないだろうが、ほかの人では気づかない独自の視点と経験や知識がリアリティを持たせ、新鮮さや面白みが増すのだろうと思う。そういう意味では落語家に転身した「世界のナベアツ」改め桂三度さんが創る新作落語も今までのものとは違ったタイプの落語を生み出してくれそうで、大いに期待してしまう。

「10年先、20年先もできるような、練り上げたらおもしろくなるような作品を待っています。身の回りにあるようなものをテーマに噺を構築してもらえたら」と三枝さんは話していた。「ストーリー展開があること、テーマがあること、おもしろいものがあって、今までになかった形、サゲがすとんと落ちること」というのが前回、三枝さんが入選に向けて挙げた条件だ。よく考えると、これはそのまま三枝落語に当てはまっている。“創作落語の天才”である三枝さんが創る落語はとても身近で、普遍的だ。身近なだけに自分にも作れそうに思えるが、三枝さんレベルの作品を作るのはかなり難しい。創ることと演じること。その両方の才能を備えているのは本当に一握りの人だ。

その意味においても、落語作家の存在は重要だ。そしてその筆頭は何と言っても小佐田定雄さんだ。亡くなった桂枝雀さんにいくつもの名作を提供し、その後も多くの落語家に新作を書いてきただけではなく、米朝師匠も厚い信頼を寄せ、多くの落語家が自身で演じようと思う落語の見直しや再構成をする際にアドバイスを頼んでいる。親切で気さくな人柄で多くの人から信頼を受け、誰からも愛される唯一無二の存在だ。小佐田さんが会社員をやめ、落語作家に専念されなかったら今の上方落語の状況はどうなっていただろうと思うこともしばしばだ。

これまでに数多くの落語を創ってきた小佐田さんだが、時代を古典落語とほぼ同じ時代に設定して創ることがほとんどだ。中途半端な時代に設定すると時代の流れに遅れてしまい、かえって古臭く感じられるという。落語家が増える中、小佐田さんが急務と感じ、友人の荻田清さんとタッグを組んで2009年から始めたのが「超古典落語の会」だ。江戸時代の咄本や明治時代の速記などから、現在では上演されていない噺を発掘し、現代に蘇らせ、落語家が実際に演じるという試みだ。荻田清さんは小佐田さんとは大学時代からの友人で、歌舞伎などを研究する大学教授が本業だ。2008年に久しぶりに二人でお酒を飲んだ時に小佐田さんがこの企画を提案し、実現することになった。

二人が最初に決めたことは「珍品」はやらないということ。「できるだけみんなができるものを創ろう」ということで演者とも相談し、著作権もフリーにしているという。「気に入った人は誰でもやってください」という粋な心意気だ。元ネタの発掘は学者である荻田さんが担当。そして、荻田さんはこれを機に落語を書き始めた。大学で落研に所属して高座の経験があり、落語の研究もしていた荻田さんだけにツボは心得ている。この会は2009年秋にスタートして以降、年に約2回を開催するスタンスで続けられている。小佐田先生、荻田さんの二人で始めたが、途中から落語作家のくまざわあかねさんが加わり、今年の2月で5回目を迎える。毎回4席、2月の公演分も加えるとトータルで20席が生み出されることになる。半ページくらいの元本から出来上がった落語の素晴らしい出来ばえに驚かされることもしばしばだ。この会で生まれた落語が各所で演じられるなど広がりもみせている。

この会は「レベルを保つ」ことを基本に、当初から5回でいったん区切りをつけることを決めていたそうだ。第一次の「超古典落語の会」は2月の公演でいったんピリオドを打つが、元ネタが集まり次第、再始動することになっている。膨大な本の中から使えるものを探し出す作業はたいへんだが、早々の再開を待ちわびるファンも多い。現代を描く新作は演じる期限が限られるものも多いし、演じることに抵抗がある落語家も多い。だが、この会で作られた噺なら「昔あった落語だから」という理由で手掛けるハードルもぐっと下がる。時代設定といい、内容といい、古典でピカイチの腕を持つが新作には二の足を踏むという演者も遠慮なく演じることができるだろう。「超古典落語」は色褪せない新作だ。今までの新作とは違う位置に立ち、誰にでも門戸を開いた「超古典落語」という分野の広がりを願ってやまない。

あたらしいらくご(1)

2012年1月10日 投稿者:日高 美恵 カテゴリ:らくごくら

2011年12月13日に上方落語協会が募集する「上方落語台本」の入選作が発表された。これは将来に残る新作落語を一般から広く公募するもので、繁昌亭のオープンを機にスタートし、今回で4回目を迎えた。毎年2月から8月までの半年間の間に寄せられた落語台本が上方落語協会所属の落語家と繁昌亭の恩田支配人らによって選考され、毎回、入選作が繁昌亭の夜席で落語家によって実際に演じられる。

初回が440編、2回目が235編、3回目が245編、そして今回は300編の新作落語が全国から寄せられた。2回目からは一人の応募が2編までに限られたため応募数が減っているが、これだけの作品を読み、その中から入選作を選ぶのは並大抵ではないだろう。選考は1編に付き、必ず2名の選考委員が目を通し、ランク分けして選んでいく方法をとっている。今回は300編のうち、38編が二次選考に残ったが、結局、大賞は3年連続で見送られた。前回から選考に参加している桂小枝さんは「(選から)もれている中にも素晴らしい作品があって、残念に思っています。このまま眠らせてしまうのはもったいないという作品もありました」と話していた。同じく、前回から選考委員を務めている月亭八方さんは前回の会見で「どの作品を見ても見事なほど落語を愛していると感じました。それぞれ、思いを持って(入選作を)選んだと思います」と苦渋の選択を語っていた。

もちろん、選考委員のセンスや趣味、考え方も大きく作用するだろうが、自らが演者だけに、読み物ではなく“演じるもの”としての客観的な選択に狂いはないだろう。選考委員に名を連ねる落語家は桂三枝上方落語協会会長を始め、笑福亭福笑さん、月亭八方さん、笑福亭仁智さん、桂小枝さん、桂あやめさん、桂三風さん、月亭遊方さんの8名で、自分で新作を創り、演じる人が大半だ。読み進むうちに、「このセリフはこの方が」とか「ここにこのシーンはいらないのではないか」など自身で作る体験と重なり、「自分なら」と思うこともしばしばあるだろうと思う。今回、三枝さんは大賞が出なかった要因のひとつに「手を加えれば形になるものはあるんですが、手を加えなくても落語として残るものがない」と話していた。なかなか厳しい基準だと思ったが、「レベルは上がっています。高望みしているかもしれませんが、もうあと一息だと思います」という言葉に創り手としてこの賞への妥協を許せない真剣さが感じられた。

会見で選考委員がしばしば口にするのが「マクラまで書いていたり、セリフが長すぎたり、登場人物が多すぎることがある」ということだ。出版されている落語台本などにはマクラも書かれているし、それをお手本にしていたら、マクラも書かないといけないと思う人がいるだろう。読む分にはいいかもしれないが、実際に高座で演じる時には登場人物が多いと演じ分けも難しくなってくるし、聴いている方もわかりにくい。セリフが長すぎるとリズムやテンポも変わってくるだろうし、技術が要求され、誰でも演じることができるというわけにはいかない。また、ストーリーよりギャグを重視して言葉遊びに終始した作品もあるという。落語台本は書いて終わりではない。「書く」ということ以上に実際に観客が聴いた時にどうなのか、演じ手にとってはどうなのかが重要となる。まずは「落語を見る」「落語を知る」ことが前提にあるということが落語台本と文学などの読み物との違いだろう。

選考委員の福笑さんは「(台本は)シンプルなものがいいと思います。その方が落語家も変えやすいです」と話している。演じ手が取捨選択して噺を膨らませ、築き上げていくのも落語の面白さだろう。噺と演者、そして目の前の観客とのセッションで落語は創り上げられていく。今日のお客さんにはこのギャグを入れたほうが受けるとか、ここは抑えて演じておこうということを空気で察知し、落語家自身がその場に応じて噺を演じ分けていくということを知った時はほんとにすごいと思った。もちろん経験や鍛練で磨かれた技でもあるし、それはまた高座に上がり続けるためには必要不可欠なことでもある。古典落語も時代や人と共に進化しているし、一言一句習ったままに演じたとしても、演者と観客で作る空気感が起こした化学反応で、その人のそれまでの落語とも、ほかの演者のものとも違う“別の一席”が生まれている。だから生の高座に向き合うたびにいつも「落語は生きている」と実感する。

入選しなかった応募作品の中にも、「部分部分で光るものがあって、ここは使えると思う箇所がある」と小枝さんは言っていた。応募作は上方落語協会に帰属し、保管されているので、落語家はこれまでの作品を自由に閲覧することができる。1から落語を創るのは容易ではないが、応募作の中に新しい落語のヒントを見つけるかもしれないし、自分の相性にあった作品が眠っているかもしれない。応募作の中から自分に合った落語を見つけて演じる“発掘落語会”もすでに開かれている。自身で新作を創ることのできる人もいれば、自身で創ることはないが、古典やほかの人の創った噺を見事に演じる人もいる。散りばめられた鉱石を見つけて磨き上げ、光らせる能力を持つ落語家もいるだろう。作家としての能力、噺を演じる能力、プロデュースし、演出する能力。その複数を持ち合わせる人ももちろんいるが、それぞれが自身の個性と能力に合わせて独自の世界を紡いでいけば、限りない個性の輪が広がっていくだろう。

さまざまな要素 

2012年1月10日 投稿者:日高 美恵 カテゴリ:らくごくら

「繁昌亭は日々成長する小屋だなぁ」といつも思う。手探りでスタートした小屋だからこそ、無限の可能性が秘められている。歴史を重ねていく過程の中だからこそ、失敗があってもやり直しが許されるし、それをチャンスとしてもっと大きな飛躍につなげていくことができる。開席してからというより、開席する以前から、落語家だけでなく、スタッフの人や商店街の方々、関係者、そしてお客さんの全方向からの大きな力が繁昌亭をぐっと押し上げている。それぞれの胸に浮かぶ「こうしたらどうだろう」「こんなことがあったらいいのに」という声を聞き流すのではなく、きちんと受け止める柔軟性があって、実現させる実行力、早急にやり遂げることのできる即戦力の存在が繁昌亭の成長を支え続けている。

「存在を忘れさせない」ということはとても大切なことだし、それを実践し続けることは難しい。その意味で繁昌亭の動きはすごいと思う。落語を中心とした定席の昼席、それぞれの落語家が腕を競い合う落語会の場としての夜席という大きな柱を中心に、季節ごとにさまざまなイベントが行われている。周年記念を盛大に祝うほか、昼席では餅つきなどの行事や成人の日、バレンタイン、11月22日の「いい夫婦の日」などの記念日に特別なプレゼントが用意される。着物を着て来た人にはキャッシュバックもある。そして、新しい試みがあるたびに記者会見が開かれる。常時、繁昌亭の話題が新聞やテレビなどで紹介され、行事に加えて繁昌亭の存在自体をアピールすることにもなる。渡って行きやすい繁昌亭への橋がいくつも用意されているのだ。「営業している」だけでなく、発信しなければ多くの人の心に届かないということを知っているからこその妙案だろう。

でも、お客さんを招くだけでは結果にはつながらない。落語に加え、目に見えない心配りもそこかしこに施されている。前座さんがつとめることもあるが、上方の落語会ではお茶子さんと呼ばれる女性が座布団やメクリをかえす。繁昌亭の舞台裏には何色もの座布団が用意され、それぞれの演者の好みに応じた色の座布団をお茶子さんが高座に運ぶ。着物の色に合わせてというのはもちろんだろうが、当日の演者の気持ちや雰囲気などによっても選ばれる色は変わるだろうし、その演者の気持ちの高揚は演じる落語にも反映されるだろう。お茶子さんはどの人もみんな可愛くて、出てくるたびに明るく、和やかな気分になる。最近は三味線さんや鳴り物方とともにお茶子さんの名前が明記されているパンフレットも多いので、みなさんおなじみのお茶子さんも多いだろう。落語会が多く開かれるシーズンでは繁昌亭を問わず、落語会の掛け持ちをしているお茶子さんもいて驚くことがある。“誰か”ではなく、“この人で”というお茶子さんのポジションの高さの現れだろう。

また、繁昌亭の内外には四季折々を感じてもらおうという思いでスタッフの人が季節に応じた飾りつけをしている。来場者は季節ごとに変わる風景を見、寄席で演じるネタもひっくるめて季節を楽しむことができる。週替わりの昼席では季節に合った噺を演じる趣向なども行われている。12月12~18日には「忠臣蔵」特集と銘打ち、連日「忠臣蔵」にゆかりのある噺が演じられた。「五段目」(染丸)、「長屋浪士」(梅団治)、「AKO47~新説赤穂義士伝」(八方)、「蔵丁稚」(米団治)、「淀五郎」(雀三郎)「質屋芝居」(春之輔)、「中村仲蔵」(新治)というラインナップだ。

「長屋浪士」は落語作家の小佐田定雄さんの新作、「AKO47~新説赤穂義士伝」は八方さんがなんばグランド花月で見た中川家の漫才をヒントに作った新作だ。大勢で一人を討つのは卑怯だと後世の人に思われないために、赤穂の四十七士が一対一で戦う一人(センター)を人気投票で決めるというAKB48と「忠臣蔵」をパロディにした爆笑篇だ。八方さんはご自身の稽古場兼寄席「八聖亭」で毎月ネタおろしの会をされていて、この「AKO47~新説赤穂義士伝」は今年6月にネタおろしをした噺だ。私はネタおろしを聞いていて、おもしろいと思ったのだが、ご自身はあまり納得がいかず、終演後には「もう二度とせえへん」とおっしゃっていた。だが、その後、手を加えてバージョンアップさせ、今年のなんばグランド花月での初の独演会では“目玉”のネタとして登場させるほどに仕上げていった。八方さんはいつも、「最初にあかんと思ったネタほどあとでいい持ちネタになるねん」とおっしゃるが、この噺もまさにその一作。落ち込んだことをバネに大きく進化させる姿にはいつも驚かされる。そのネタが繁昌亭昼席の「忠臣蔵」特集に並べられるのはすごいことだと思う。

「忠臣蔵」特集以外に、同じ噺を連日違う人が演じる“聴き比べ”ともいえる企画や女性の落語家を中心にラインナップした週など恩田支配人のアイデアで昼席でも多彩な趣向が用意されている。寄席は基本的にネタ出ししないので、当日でないと何のネタが演じられるのかわからない。出番によって持ち時間は決まっているから、演者は前に出た人のネタを見て、限られた持ちネタを即座に選び、持ち時間の枠内で演じることになる。長めのネタでもうまく調整しながら時間内に演じている姿をみるといつもすごいなぁと思う。目の前に掲げられている時計を意識し、時間を考えながら演じている人もいるだろうが、いつも「さすがはプロ!」と感心してしまう。定席のスケジュールを見るだけだと同じメンバーが並んでいるだけのように思えるが、趣向があると日々違う色合いがあって楽しいし、日々変わるセッションみたいなものだと考えると、同じメンバーでもぐっと立体感あふれるものに思える。一門によって芸風も違うし、もちろん人によって考え方ややり方も違う。それぞれがぶつかりあい、どんな化学反応が生まれるかを楽しめるということが寄席の楽しみかもしれない。

会のあり方

2011年12月14日 投稿者:日高 美恵 カテゴリ:らくごくら

芝居噺などのマクラで演者が、「歌舞伎と落語では入場料が一ケタ違います!」と入場料やお客さんの服装の差を比較して笑いを取ることが多い。そのマクラの通り、歌舞伎の入場料が高額なのに比べて落語会の入場料はとても安く、断然足を運びやすい。舞台上の演者1人で世界を創り上げる落語に比べて、歌舞伎は豪華な衣装や舞台セット、多くの役者陣を必要とする別の芸術だというのを承知の上で、それも笑いに変え、“落語は庶民の芸”という親近感を持たせてしまう落語家はすごいと思う。

上方の落語会では大御所が並ぶ会でも前売りならだいたい4000円くらいまでという価格設定が多い。以前は入場料ももっと安かったが、最近は上方でも落語会の入場料が高額化してきている。毎年年末に開かれている桂文珍さん、桂南光さん、笑福亭鶴瓶さんの三人会「夢の三競演」の入場料は消費税込みで6300円だ。開催当初、落語会にしてはあまりの高額に物議をかもした。当時、米朝師匠が出演する一門会でも4000円くらいまでだったので、米朝師匠から「ええ値とるなぁ」と言われた南光さんは冷や汗をかいたと言う。これは芝居や音楽の公演なども考慮に入れて設定された入場料だが、破格の値段にも関わらずチケットは即完売。「このメンバーならこの料金でも仕方がない」というのが観客の答えだったのだろう。その分、この落語会はスペシャルだ。会場に着いた時から「夢」の世界の扉が開いている。入り口には幟が立ち、若手の落語家が座席への案内役をつとめる。主役の三人が全力投球で挑むのはもちろんだし、セットも豪華だ。会のラストには当日会場にいる落語家全員がダンスを踊るなど、会全体がサービス精神にあふれた仕上がりになっていて、年に一度、年末のこの会を心待ちにしているファンも多い。

独演会もキャリアによって入場料は変わってくるが、前売りで2000円から4000円くらいまでだし、勉強会なら前売りで1500円、2000円くらいといたってリーズナブルだ。入場料が500円という落語会もあるし、無料の落語会だってある。天満天神繁昌亭の昼席は色物も交えて10組が出て、3時間以上楽しめるのに前売りは2000円。芝居やコンサートに比べると断然安い。歌舞伎や芝居に行くたびに、この一回で落語会に何回行けるだろうと反射的に考えてしまう。入場料が安い上に、抽選会も付いているという会も多い。支払った入場料以上のものが抽選で当たった時など嬉しい反面、申し訳ないという気持ちにもなってしまう。「勉強会は入場料が安くても仕方ない」と言われればそれまでかもしれない。他ジャンルの古典芸能の方から、「落語は勉強会でお金を取る」と苦言をいただくこともある。だが、勉強会と言ってもかなり質の高い会だってあるし、“勉強会”という一括りでも、演者によって意識は全然違うのだと思う。

ネタおろしをする、持ちネタの虫干しをする、研鑽のために続ける。勉強会を定期的に長く続ける人もいれば、特定の会を目指して階段のように積み上げていく人もいる。自分が中心となって毎回ゲストを招いて開く、同期や同じ一門で開くなど人によって勉強会への向き合い方はさまざまだ。本人にとって“勉強会”のつもりでも、お客さんにとっては“勉強会”以上の会だってある。その落語家さんを生で見る、その高座に立ち会える一期一会を幸せに感じて“勉強会”という位置づけの会へ足を運び、その成長を目の当たりにし、演者とともに時間を過ごすことに喜びを感じる。京都府立文化芸術会館の3階和室で定期的に続けられている「上方落語勉強会」では毎回、落語作家の小佐田定雄さんとくまざわあかねさんが交互に書く新作を演者がそこでネタおろしし、演題を当日の観客が決めるスタイルをとっている。新作の名づけ親になるなんて、とても素敵なことだし、その噺にもぐっと親近感が湧く。新しい落語が生まれ、命名される瞬間に立ち会う臨場感は代えがたいものがあるだろう。

“勉強会”の時に演者がネタおろしに挑んでうまく行かなかったり、実験的なものに挑戦する会で自分の思惑と違う結果に終わることもあるだろう。忙しい中、時間を割いて行った会が思っていたのとはかなり隔たりのある状況で「時間を返してほしい」と悔しく思うこともある。だが、振り返ってみて、その会に立ち会えたことが貴重に思えたり、「あの時はあんなだったのに」とその変わりようを喜ぶ時が来るかもしれない。若手の人が成長していく段階を伴走する楽しみもある。そんな可能性も何もかもをひっくるめて勉強会に足を運ぶ落語ファンも多いと思うし、それが本来の落語ファンの姿だと思う。

だが、「今日はあかんかったな」というのは落語ファンにのみ通用する言葉だ。音楽や映画ならこのコンサート、この作品が面白くないと思うことはあるが、もう二度と映画やコンサートに行きたくないとは思わないだろう。だが、初めて行った落語会が自分にとって面白くなければ、「落語自体が面白くない」という固定概念が脳裏に焼き付いて、もう落語会には足を運ばなくなる。最初に見た落語が自分に合わなくて、落語を見なくなることはとても残念なことだと思う。そのことをよく知った上で、「”ブーム”と呼ばれる落語熱が高まり、落語初心者が多く訪れる時にこそ頑張らなければ」と一席、一席を全力投球で演じた落語家も多い。前だけでなく、足元をしっかり見て走るその姿に、応援しながら伴走するファンも増える。そしてそのファンの存在があってこそ、目の前に続く長い落語道を踏み外すことなく走っていけるのだろうと思う。

東奔西走(2)

2011年12月14日 投稿者:日高 美恵 カテゴリ:らくごくら

落語家の数が大幅に増えたことに伴って、落語会の数自体も激増している。その結果、一日にいくつも会が重なり、お客さんも分散してしまう。カラーの違う演者の会ならまだしも、両方の会に行きたいと願う落語ファンが悩ましい思いに駆られることもしばしばだ。落語会の数が少なかった時代にはほかの会とかぶらないように落語会の日を設定して開いていた落語家さんもいた。それだけ落語会がない日も多かったし、みんな時間にも余裕があった。だが、今は会が開かれない日はないし、出演者のスケジュールに合わせて日程を決めるので、ほかの会と日程の調整をすることも難しい。

会が増えたことで、掛け持ちをこなす落語家さんも増えている。また、会の主宰者が前座に出る若手を確保するのに四苦八苦している姿もよく見かける。一日にいくつもの会を掛け持ちして走る若手も多く、みんなとても忙しい。関西一円だけでなく、遠方に行く“旅”公演もあるので若手が掛け持ちできない時もある。だが、こんな「働きもん」の若手事情は結構深刻で、なかなか前座が決められないことが師匠連の悩みのタネになっているらしい。

少し前までは落語会にはいつも若手の落語家が何人か手伝いに来ていたが、忙しさもあってか、最近は誰も手伝いに来ていない落語会もある。落語会では普通、笛や鳴り物は手伝いに来ている若手が担当する。上方の落語会では笛がないと寂しいので笛の吹ける若手は引っ張りだこだ。予算のある大きな会では別に笛や鳴り物の人を頼むことができるが、勉強会などでは笛と前座の両役をこなす若手が求められる。1,2名の演者と三味線さん、笛の吹ける前座の若手がいればチームを組んで旅公演だって十分に回れる。

楽屋をのぞくと誰も手伝いに来なくて、出演者自らが鳴り物を打っている姿もたまに見かける。芝居噺や鳴り物が必須の噺の時はあらかじめ頼むこともあるが、「誰か来てくれるだろう」という思いが裏切られ、手伝いの人がいなくてたまたま来ていた関係者がカネなどを打っている姿も見かける。人手不足の波はここにも押し寄せているなと思う。演者渾身の一席も鳴り物一つでぶち壊しになることだってあるから、落語会を開き、落語を演じることは一人だけではできないなとつくづく思う。

会を開催する人にとって、前座さんに加え、三味線さんの確保もいつも重大な問題だ。三味線はプロの女性が弾いている。一時は三味線を弾く人が少なくなり、三味線が不可欠な上方落語界にとって後継者不足が憂慮された。自ら「鳴り物教室」などを主宰し、お囃子の育成に力を注いてこられた四代目林家染丸師匠をはじめとする方々の恩恵が生き、今は三味線を弾く女性もずいぶん増えてきた。予算の関係や三味線さんの確保が難しくて、出囃子にテープを使うこともあるが、芝居噺などハメモノ入りの噺はテープではできない。だから、上方では小さな勉強会でも生の三味線が入っている。それに最近は古典落語だけでなく、新作落語でも三味線や鳴り物が入る噺が増えてきている。慣れないこともあるのだろうが、ハメモノを入れない東京の落語を聞くとなんだか物足りない気がするし、東京の落語家さんでも最近はハメモノ入りで落語を演じることがある。開演前の張りつめた空気の中、落語家さんが三味線さんと念入りに音合わせをしながら演じてみる様子を見ると、これから始まる高座への期待が高まり、うきうきした気持ちになる。

公共ホールや各都市主催の落語会も増え、大阪や京都、神戸などの都市を飛び出して、みんな東奔西走している。終演を待たず、出番が終わると同時に会場を出る落語家さんや三味線さんの姿を見ると落語の波がより遠くへ広がっているのだと思う。加えて、最近は東西の垣根などまるでなかったかのように、東京の落語家さんの会もずいぶん増えてきた。その落語家さんや東京落語が好きで足を運ぶことはもちろんだが、今までに見たことがないから一度見てみたいという思いや、なかなか見る機会がないから大阪で会がある時にと足を運ぶことも多い。上下の層と東西の幅がどんどん膨らみ、多様化も進んでいる。どの会に足を運ぼうかとファンの側の悩ましさもどんどん増している。

交通もめざましく発達し、東京など遠方へ日帰りで落語を見に行く人も多い。好きな落語家が東京でお昼に、大阪で夜の会に出演する時はその両方を追いかける人だっているそうだ。落語家のフットワークも軽くなったが、落語ファンのフットワークも驚くほど軽い。亡くなられた人も含め、東西の落語家のCDやDVD、本も続々と発売されている。それだけ売れるということだろう。東京だけで公開されていたシネマ落語も全国公開になった。ライブ繁昌亭を毎日欠かさず楽しんでいる人もいるし、ネット配信の落語を楽しむ時代にも突入した。生の舞台を見るファンだけでなく、映像や音で楽しむファンも合わせればどれだけのファンがいて、どれだけの時間を落語に費やしているのだろう。落語家も忙しいが、落語ファンも忙しい時代になっている。

東奔西走(1)

2011年12月14日 投稿者:日高 美恵 カテゴリ:らくごくら

「お店に入った時にいつも、ここで落語会ができないかというのを真っ先に考えてしまうんです」とある若手の落語家さんは笑った。それほど、落語ができるスペースを求めているのだろう。落語会がはねた後、落語家さんたちと歩いていている時にお寺の前を通りがかり、「ここのお寺ええなぁ。落語会してくれへんかなぁ。誰か交渉に行けへん?」と笑いながら話しているのを見たこともある。個人宅、バーカウンターの上、教会、サッカー場、野外など驚くような場所でも落語会は開かれている。「座布団一枚の世界」。そのスペースは狭くても、世界は無限大だ。無限大だからこそ、その可能性も計り知れないのだろう。

寄席や劇場、ホールのような落語を聞くのに適した環境で演じるに越したことはないが、小屋代も結構かかるし、お客さんの数が少なければ賃料の支払いも難しい。適当な会場が数少ないこともあって、落語会を開くために落語家さんたちは安く貸してくれるお寺や神社、お店などを自ら開拓している。だが、それは現在に限ったことではなく、戦後も「落語ができるところならどこでも!」という熱い思いで、会場にはこだわらずに落語を演じていた時期があった。“演じたい”思いは変わらない。だから演じる場所がなければ自分たちで開拓していくしかない。

それに整った会場のある都市部の落語会に通える人は限られている。桂文珍さんは“落語のデリバリー”と称し、毎年、全国47都道府県を回る独演会ツアーを続けている。会場は立派なホールも多いが、県庁所在地だけでなく、さまざまな都市や町で落語会を開いている。「来ていただけない場所にこちらから出向いていく」という思いはとても素晴らしいことだと思うし、それを実践して続けていらっしゃることも素敵だ。文珍さんは「実際行ってみると、落語を聞いたことがない人がたくさんいらっしゃる。まだまだ開拓の余地はある」とにこやかに笑っておられる。この会は生の落語を見る機会の少ない土地の人にとっては心待ちの会に違いない。お腹の底から笑って、「明日からもまた頑張ろう」と笑顔で会場を後にするのだろう。そして文珍さんもさまざまな土地でたくさんの人と出会い、その土地を知り、打ち上げで名産に舌鼓を打ち、素敵な思い出を積み重ねていらっしゃる。

大阪や京都、神戸など近畿圏にも生の落語を見聞きしたことのない人がとてもたくさんいらっしゃる。何かきっかけがないと電車を乗り継いで落語会に足を運ぶことはなかなかないだろう。平日の仕事終わりでは落語会の開演時間に間に合わないこともある。でも、家や会社の近所で落語会が開かれれば、落語会に足を運ぶハードルはぐっと低くなって、落語や落語家さんへの距離もずいぶん縮まる。そんな“下駄ばきで行ける”地域の寄席が増えることが落語の活況につながるし、落語の浸透を招いていくと思う。昔は落語会と言えば平日の夜に多く開かれていたが、最近は土曜、日曜の昼間の落語会がずいぶん増えた。休みの日の昼間なら帰りの電車に間に合うかどうかなどの心配もない。終演後に落語ファンの友人と食事を共にして楽しい時間だって過ごせる。それに昼間なら、遠くで開かれている会にも足を運べるし、落語会近辺の観光も兼ねた贅沢な時間を楽しむこともできる。休みの日には各地で落語会が花盛りだ。落語が娯楽の一つとして広く浸透してきている証でもあるのだろう。

地域寄席に行くと「遠くへは行かれへんから、毎月この会を楽しみにしている」という人たちの声をよく耳にする。天満天神繁昌亭ができて以降は、その地域寄席の節目の会などを繁昌亭で開くことがある。「地域寄席の節目はその土地でするべき」という意見もあるが、普段は地元からなかなか出ることのない人たちを繁昌亭に誘うきっかけになっている。上方落語の悲願の実現となった寄席小屋を見てほしいという落語家さんや関係者の思いと、一度繁昌亭に行きたいが機会がなくてなかなか足を運べないと思っていた人たちの思いが同時に叶う橋渡しとなっている。それに、たまたま繁昌亭に行ってその地域寄席を知り、興味を持った人がその寄席を訪れるということだってあると思う。

偶然訪れたお店で直談判して、落語会の開催にこぎつける人もいる。「場所がないなら」と、快く受け入れてくださるお店もあるが、落語会の開催中は店の営業はクローズの状態になるので、お客さんが少ないと店側にとっても厳しい状況だ。店や演者が持ち出しになる時だってあるし、双方にとって大きな賭けとなるだろう。落語家さんとオーナーさんの話し合いで状況はさまざまだろうが、店側のバックアップが厳しくて続けられなくなった会も多い。飲食付の会は人気だが、オーナーさんの持ち出しで続けておられるところもあって、その心意気には頭が下がる思いだ。

それにお店に限らず、会を開くとなれば準備もいるし、設営がたいへんなところもある。私も設営のお手伝いをしたことがあるが、高座を作ったり、椅子を並べたり、照明を設置するなど体力的にも結構厳しい。慣れないと設営の段階でクタクタになってしまう。それを思うと、繁昌亭やワッハ上方の上方亭、動楽亭、八聖亭などの小屋の存在は本当にありがたいことだ。手伝いの人手が見込めなければ設営の必要のない場所で会を開きたいと思うだろう。疲れ切っている状態では落語の力を発揮できない。だが、人手もあって、設営ができれば、常設の小屋でなくてもどこでも落語会を開くことができる。先輩の会の手伝いに通っていた若手の落語家さんが自分で会を開くようになり、設営などの会場造りをしている姿を見ると頼もしく思える。時代と共に創意工夫が加わっているだろうが、会場造りも落語や作法などと同様に受け継がれている伝統のひとつかもしれない。

繁昌亭のこと2011(3)

2011年11月4日 投稿者:日高 美恵 カテゴリ:らくごくら

変わってきたのは人のつながりばかりではないと思う。ネタ自体も変化してきている。戦後、落語家の数が激減し、危機感を持った上方落語の四天王はネタ数を増やすためにそれぞれ別の師匠に別のネタを習いに通ったそうだ。そして、「ネタを増やすためには定席が必要だ」ということを松鶴師匠がおっしゃっていたそうだ。続けて寄席を訪れるお客さんがいることを思えば、1週間同じネタを演じることはできない。繁昌亭の場合、全員の高座が放送されるわけではないが、インターネットで昼席を楽しめる「ライブ繁昌亭」の放映があり、連日見ている人がいる。同じ演者の同じネタでも日によって演じ方が違うだろうが、見る側はやはり違うネタを望む。また、演者が違うと言っても、毎日同じ演目が出るより、違うネタを見たいと思うだろう。持ちネタの少ない人はネタの開拓が必至となるし、持ちネタに自分の個性を入れて唯一無二のオリジナルバージョンに磨きをかけている人もいる。また、連日高座に上がることでネタも日々、進化していく。

 落語のネタには“お家芸”と呼ばれてその一門のみが演じるネタがある。戦後、落語家が激減した時にはネタ数を増やすために東奔西走し、一門以外の師匠のところにも習いに行っていたので、“お家芸”でもほかの一門が演じるようになったネタも多いが、「これは笑福亭のネタやから」とか「米朝系のネタで」などの言葉を聞くと、伝統やネタのルーツになるほどと感慨深く思うことがある。一門でネタを囲い込んでしまうと演じる人がいなくなり、滅んでしまうという危惧もあったのだろう。今は一門を越え、ネタが幅広く演じられることが多くなったように思う。

“お家芸”とは別に、あまりにも素晴らしく、ほかの人が演じるのがはばかられるネタもある。落語会ではネタがかぶるのを避けるために、趣向の会をのぞけば、必ず別の種類のネタを演じるというルールがある。旅ネタが出たらそのあとに出る人は旅ネタをしないし、丁稚が出てくるネタが出ればもう丁稚の出るネタはできない。また、同じような展開のネタはしないなど演者が増えれば増えるほど後に出る人の演じるネタは限られてくる。寄席ではあらかじめネタ出しをしないので、トリの人は自分より前に出る人が演じたネタ以外の噺をしないといけない。ネタ数に加えてネタの種類の多さが求められるのだ。また、前に出る人は、後にでる先輩の十八番ネタやその日に演じるネタにかぶらないネタを演じる配慮が必要となってくる。持ちネタの少ない若手たちは新しいネタの稽古に熱心だ。その成果は舞台で現れていて、実践の大事さを痛感する。

「ちりとてちん」や「タイガー&ドラゴン」などの一連のドラマや映画の人気と繁昌亭の開席がちょうど重なって、上方にも“落語ブーム”が訪れた。繁昌亭は大入り続きで落語会も増え、入門者も増えた。最初はこのネタ、それができるようになったらこのネタ、というようにネタの稽古にもステップがあって、それを飛ばして一気に大ネタに挑むとほころびが見える。何事も基礎が大事ということだろう。新しいネタを必要とするのは若手だけでないが、ネタ数を増やしたいと願う若手は師匠や兄弟子以外にほかの一門の先輩のところにも足しげく稽古に通っている。「この噺はこの人」という十八番ネタを見聞きして、積極的に習いに行っている姿に感心することもしばしばだ。当初は演じ方や流れを習った通りにするので「これはあの師匠につけてもらったネタやな」というのが見ていてわかる。だが、しばらくするとそこに自分なりの工夫を加えていたりして、ネタを自分の手元に引き寄せていく姿は立派だなと思う。だが、「この噺はこの人!」というネタで、長くほかの人が演じない噺を若手の人が演じる姿に遭遇すると時代は変わってきたんだとしみじみ思う。

必要に迫られてということもあるだろうが、先輩たちの下に稽古に通う若手落語家の姿を見ていると、受け入れてくれる先輩がたに恵まれていると思う。かなりの若手でも春団治師匠や大御所の師匠連に稽古をお願いしている。稽古をつけることは時間的にも体力的にもたいへんだろうが、師匠連も嫌がることなく応じていらっしゃる。同年代の者が行くと聞けば、自分もと克己することもあるだろう。繁昌亭でいろんな一門の落語家の高座を自分の目で見て幅広くネタを知り、本人にお願いして習うことができるというのも繁昌亭効果の一つではないかと思う。普通は習う師匠や先輩の自宅に稽古に通うのだが、昼席の前に舞台上や近くに上方落語協会が借りている部屋で稽古をつけてもらうことも多い。稽古の後にそのお宅で芸談や一献という楽しみはないが、効率のよい新しい姿だろう。

ネタの開拓は古典落語ばかりではない。落語が並ぶ昼席では古典落語に混じって新作落語が演じられることも多い。新作だと空気も変わるし、その人オリジナルの作品ならほとんどほかの演者のネタとかぶらないからだ。新作は昔から作られてきていて今や古典となっているものもあるし、少し前の時代を舞台に作られた“新古典”と言われる噺や演じられなくなった噺を蘇えらせた復活ネタもある。三枝会長の新作はいつの時代にも受け入れられる普遍的な作品で、繁昌亭だけでなく東西の落語家が多く演じる人気作となっている。古典落語を今風に改作して演じる人もいるし、自分で新作を次々生み出す若手も増えている。ネタ数だけではない中身や幅の広がりも見逃せないところだろう。

繁昌亭のこと2011(2)

2011年11月4日 投稿者:日高 美恵 カテゴリ:らくごくら

2006年9月15日。天神橋筋商店街を練り歩く落語家さんたちと共に大阪天満宮に到着。祝典、祭典が執り行われたあと、天満宮を出ると目の前の天満天神繁昌亭の正面は詰めかけた人でぎっしりと埋め尽くされていた。これだけ多くの人がこの寄席を待ちわびていたのかと驚かされた。上方で落語の定席がなくなってからずいぶんと年月がたっている。寄席(定席)というものがどういうものか私も含め、まだ多くの人には実感がなかっただろう。詰めかけた人々の中にはこれからの上方落語に大きな期待を抱く人はもちろん、繁昌亭の開席で落語と言う未知の世界に興味を持つ人もいたし、繁昌亭を商店街の発展のための起爆剤にと思う人もいただろう。さまざま人のさまざまな思いが交錯し、夢があふれていた。

正午からこけら落とし公演がスタートし、9月24日までの10日間、一日3回の特別興行が行われた。東京からゲストを招き、記念口上が行われ、企画ものも行われた。この華々しいこけら落とし公演で私が感激したことの一つは上方落語協会に所属する落語家のほとんどがこの10日間に日替わりで出演したことだった。上方にこんなにたくさんの落語家がいるということのお披露目でもあったのだろうが、“夢”だった定席の舞台に全員が出演するというのはなんて素晴らしいことなんだろうと思った。新しい舞台に出て、上方の落語家ということを改めて誇りに思い、一体感を味わったのではないだろうか。そして、その感激に加え、満員の客席を前に落語家として心新たに思うものがあったのではないだろうか。

松鶴師匠が「寄席はみなでひとつや」とおっしゃっていたという。これはいくつもの落語が続く寄席や落語会ではネタも含め、まわりのことも考えて演じ、トリに出演する人に向けて、心を一つにし、一つの興行をみんなで一緒に創り上げようということなのだろうが、このこけら落とし興行を見ていて、ふとその言葉が浮かんできた。ここはみんなの舞台、全員で創り上げる寄席。また、違った「みなでひとつ」。改めてその言葉を噛みしめる思いがした。

15日の開席初日から繁昌亭では連日大入りが続いた。繁昌亭ができる前は、「平日のその時間帯にお客さんが来るのだろうか?」と不安に思う声も内外から多く聞かれた。確かにそうだろう。開演は午後1時。一般の人は仕事をしている時間だ。それに落語の定席がない時期が長く、東京と違って寄席で落語を聞く習慣がないというのも心配の種の一つだった。オープン当初は落語8席と漫才などの色物が2組。もちろん、いろいろなタイプの落語があるし、お客さんを楽しませるために演者も全力投球するだろうが、誰もが未知の世界に足を踏み入れるような思いだったと思う。だが、それも杞憂に終わり、繁昌亭のチケットは地元の天神橋筋商店街の人さえ手に入れるのが難しいプラチナチケットになっていた。

何事も始まったばかりの時は万全ではない。思いもよらないことだって起きる。いくつもの難題を乗り越え、試行錯誤しながら手探りで進化していく。スタートしたばかりの繁昌亭も同じことが言えたと思う。開席から大盛況が続く幸せな船出だったが、何をするのも初めてのことで、トラブルだってたくさんあったと思う。目に見えない苦労や尽力も半端ではなかっただろう。だが、「もっとこうした方が」という要望に柔軟に、そして即座に対応する様子は見ていてすごいと思ったし、落語家さんはもちろんのこと、スタッフの真摯な想いがないと実現しえなかったと思う。そんな一つ一つの積み重ねがあって、今に至っている。

東京の寄席は10日ごとに出演者が変わるが、繁昌亭は1週間単位で出演者が変わる。大きな落語会はともかく、それまで勉強会などは同じ一門か同じ事務所の者同士、または同期のメンバーが集まって開いていた。それに比べ、繁昌亭では上方落語協会所属の落語家全員から出演者が選ばれていて、ほかの落語会とは違う感じの新鮮な顔合わせを見ることができる。落語家さん自身からも「あの人とは20年ぶりに会ったわ」とか「一緒の会に出るのは初めてや」という声をよく耳にした。それに色物として出演する漫才やマジック、太神楽の人たちと初めて共演する人も多かったと思う。舞台も新鮮だったろうが、楽屋もまた新鮮だったろう。

繁昌亭の楽屋は一つなので大師匠から若手までが集い、舞台のモニターを見たり、話に花を咲かせたりと和気あいあいの雰囲気だ。若手の落語家が交代で楽屋番をつとめ、忙しく立ち働いている。若手の落語家にとっては作法を始め、昔話や芸談、ネタの話など勉強になることがたくさんあると思う。普段は挨拶程度の付き合いの人だったが、楽屋で話して親しくなったという人たちもいる。開席当初は昼席を終えて午後4時半ごろから出番のメンバーで連日打ち上げをしていた。繁昌亭近くの居酒屋では落語家のために営業時間を繰り上げたところもあった。懇親の日々は新しいつながりを生んだだろう。

繁昌亭で共演したことがきっかけとなって、繁昌亭以外で開いている自身の落語会に出てもらうようになったという話も多い。それまで、だいたい固定だった地域寄席のメンバーのカラーがここ数年、少し変わってきているのは“繁昌亭つながり”の恩恵だろう。地域寄席などのお客さんも新しい顔に出会えるし、その落語家さんを目当てにその寄席に足を運ぶ新規のお客さんだって増える。ずっと地元で続けていた寄席のスペシャル版が繁昌亭で開かれることもある。繁昌亭に行くきっかけを失っていた地元のお客さんも繁昌亭を訪れる絶好の機会になる。色物の芸人さんたちの落語会出演も増え、そのつながりで落語会以外の演芸やライブに出演するようになった落語家さんもいる。繁昌亭効果はほかの落語会にも波及しているのだ。

繁昌亭のこと2011(1)

2011年11月4日 投稿者:日高 美恵 カテゴリ:らくごくら

2006年の9月15日にオープンした天満天神繁昌亭は今年で開席5周年を迎えた。5年前、大阪では長く絶えていた落語の定席が約60年ぶりに復活するという朗報に落語ファンの期待は大きくふくらんだ。昔はたくさん見られたテレビやラジオの落語番組は減っている上に、放送されるのは上方落語ばかりではない。落語はやっぱりライブで楽しむのがいいと声高に言われているが、その実、開かれている落語会の数は限られている。落語を追いかけ、好きな噺家さんを見ようとファンは落語家本人から送られてくる落語会のDMや手にしたチラシ、数少ない情報誌や新聞などを頼りに落語会に通い続けた。

東京では鈴本演芸場、浅草演芸ホール、新宿の末広亭、池袋演芸場の4つの定席に加え、丸々一カ月というわけではないが、国立演芸場でも落語や演芸を楽しめる。一方、上方ではワッハ上方7階のレッスンルームや4階の上方亭、トリイホールなどのホールや劇場スペースでいくつもの落語会が開かれてはいたが、専用の小屋はなく、お寺や神社、飲食店などさまざまなところで落語会が開かれていた。だが、そこに行けば必ず毎日落語を楽しむことができるという場所は長らく上方にはなかった。「落語をどこで聞けばいいのか」という質問の答えに窮している落語家たちも多かった。桂三枝上方落語協会会長自身もこの質問を受けたのがきっかけとなって繁昌亭の実現を目指したという。「ここに来ていつでも落語を楽しんでください!」と胸を張って答えることのできる日が来ることを多くの落語家が夢見ていただろう。

戦後、落語家が減り、「上方落語を残していくには落語の定席が必要」という六代目笑福亭松鶴師匠の強い思いから、上方落語協会主催の「島之内寄席」がスタートした。しかし、島之内教会を皮切りにスタートした「島之内寄席」はその後、幾度も会場移転を余儀なくされた。スーパーマーケットの中や心斎橋の料亭など新天地を求めて移転せざるをえない状況は本当にたいへんだったろうと思う。当時のパンフレットを見直してみると、豪華なメンバーが顔を並べているが、やはり会場ごとに会の雰囲気はずいぶん違った。たが、“落語への情熱”はずっと貫かれていたと思う。現在、島之内寄席はワッハ上方内のワッハホールが5upよしもとに変わったのを機にトリイホールに場所を移して毎月開かれている。

「島之内寄席」とは別に、大阪・吹田の千里セルシーホールで毎月27、28日に上方落語協会主催の「千里繁昌亭」が開かれていた。「繁盛」ではなく「繁昌」。「繁昌亭」という会の名は六代目松鶴師匠が命名したもので、「日を重ねて繁栄する」という願いが込められている。当時、「千里繁昌亭」は特別な会だったし、「27、28日は千里繁昌亭」を合言葉に私も大阪から吹田まで何度も足を運んだ。豪華なメンバーも出演していて楽しみな会だったが、大阪から少し離れているので、開演に間に合わないこともしばしばだった。その「千里繁昌亭」も幕を閉じた。松鶴師匠が牽引して続けてきた定席への道のりは険しいものだった。その姿を目の当たりにし、定席実現への思いを受け継いだ桂三枝上方落語協会会長や関係者の人々の努力と信念が多くの困難を乗り越え、天満天神繁昌亭という大きな花を咲かせたのだった。三枝会長がたびたび口にする「奇跡の寄席」と言う言葉にそれが表れていると思う。定席の名が「天満天神繁昌亭」と聞いて、多くの人が「千里繁昌亭」を思いだし、懐かしく思ったのではないだろうか。

天満天神繁昌亭の開席実現までの道のりは本当に険しいものだったと思う。繁昌亭設立の構想時から知る大阪商工会議所の堤成光さんが開席までのいきさつや繁昌亭のことを書き下ろした「奇跡の寄席 天満天神繁昌亭」を読むとその並々ならぬ苦労がしのばれる。三枝会長を始め、みなさんが開席に向けての資金繰りのために奔走されている姿も拝見していたし、クリアしないといけないさまざまなことも山積していたと思う。開席前の暑い夏の日、上方落語協会の方々が汗だくになって準備に追われていた姿も忘れられない。思っていた以上に早く実現したかのように思う人もいるかもしれないが、開席に至るまでの目に見えない苦労は想像を絶するものだったと思う。それだけに、定席実現の日は感極まった思いだっただろう。

開場1週間前の9月9、10日のプレオープン4公演を経て、落語の定席、天満天神繁昌亭は2006年9月15日にこけら落としを迎えた。遂にその“夢”がかなう日が来たのだった。その日は天神橋筋商店街の北詰、天神橋6丁目で午前9時半からセレモニーが行われ、そのあと天神橋筋商店街から天神橋2丁目にある天満天神繁昌亭まで華々しいお練りが行われた。三代目桂春団治師匠が乗った赤い人力車を三枝会長が車夫になって引き、そのあとを落語家やお囃子の山車が続いた。大阪市を南北に通る約2.6キロという日本一長い商店街を“夢の目的地”天満天神繁昌亭へ向けて練り歩いていく。途中で人力車のひき手や乗り手が順々に変わる姿が“上方落語”のバトンを渡すリレーのように思えて、胸が熱くなった。

三枝会長を始め、参加した落語家のみなさんはどんな思いで練り歩いていただろう。多くの報道陣がお練りに付き添い、沿道には人、人、人。たくさんの声援や歓声が続いていた。大きな期待を全身に受け、弾ける笑顔で目的地に向かって進んでいく姿が上方落語のこれからを映す象徴的なものに思えた。天神橋3丁目の和菓子店「薫々堂」の店頭には五代目桂文枝師匠の笑顔の写真が飾られ、それを見つけて立ち止まった三枝会長が涙ぐんだ姿に誰もがもらい泣きした。亡き師匠との予期せぬ出会いにそれまでの苦労を胸に秘め、ここまで突き進んできた緊張感が一気に解き放たれたのだろう。文枝師匠の笑顔は「ようやった」と褒めてくれているかのようだった。「薫々堂」のご主人は筋金入りの落語ファンだ。文枝師匠の写真の展示はこの日を待ちわびたご主人の繁昌亭開席を祝う何よりのプレゼントだった。長い道のりを一緒に歩いていた私は、心待ちにする商店街の人々の強いバックアップに頼もしさを感じ、改めて嬉しくなった。

彦八まつり(2)

2011年9月13日 投稿者:日高 美恵 カテゴリ:らくごくら

 毎年9月の第1土曜、日曜に開催される上方の落語家の文化祭&ファン感謝デー「上方はなし 彦八まつり」では、指揮を執る実行委員長が上方落語協会員の中から年替わりで選ばれる。その実行委員長が中心となって、その年の祭りで行うイベントなどを企画するため、誰が実行委員長になるかで祭りのカラーがずいぶん変わってくる。ここが“恒例のお祭り”なのに毎年味わいが違い、飽きがこない要因の一つだろう。21回目を迎える今年は桂梅團治さんが実行委員長を務めた。

 桂梅團治さんは上方落語界きっての「鉄っちゃん」。鉄道マニアだ。鉄道マニアにもいろいろ種類があるそうで、梅團治さんの場合は撮影を主とする「撮り鉄」、中でも“専門分野”はSLだ。車に機材を積んで、撮影のために日本全国に足を運ぶ。落語会とセットにして撮影のスケジュールを入れることも多く、職業ドライバーでもないのに、今の愛車の走行距離は2年間半で約15万キロだというから熱の入れようも半端ではない。地球が1周4万キロ。この車で2年半の間に地球を4周近く回った計算になるというから驚きだ。始発列車の雄姿を山の上などから撮影するために車の中で寝泊まりすることもあるため、職務質問を何度も受けていると梅團治さんは笑う。

 5、6年前からデジカメも使い始めた梅團治さんはSL以外の写真も撮るようになった。写真の腕前は「鉄道写真展」が各所で開かれるほどで、毎年、年末には厳選した写真を掲載したカレンダーを作っている。梅團治さんは上方落語界で「乗り鉄」として知られる桂しん吉さんとの「鉄ちゃん」色満載の落語会「鉄の世界」を毎年開いているが、この会は梅團治特製のカレンダーをプレゼントにするために12月に開かれることが決まっている。

 8月に開かれた「彦八まつり」の発表会見での梅團治さんの満面の笑みが印象的だった。「好きなことをしていいと言われましたので」と梅團治実行委員長が今年の彦八まつりで企画したのはミニSLの体験乗車だ。そのミニSLを繁昌亭の舞台に登場させ、会見と彦八まつりのプレイベントの落語会が開かれた。「噺家になって、SLの前で落語をしゃべるのが夢でした。でも、気ぃ取られてあかん(笑)!」とマクラで笑わせ、演じたのは自作の鉄道落語「切符」。「鉄の世界」で披露するために作り、今やいろいろな落語会で演じる持ちネタになっている。趣味と実益の結実だろう。

 披露されたミニSLは笑福亭仁勇さんの知り合いの方がすべてのパーツを入手し、5年がかりで作ったという。本物のSL、C62を1/12に縮小したもので、内装までかなり精巧に作られ、本物と同じく石炭を燃料にして走る。“シロク二”と呼ばれるこのC62は、最後はニセコで走っていたそうで、梅團治さんはその写真を撮りに行って崖から落ちて死にかけたことがあるという思い出深い(!?)SLだ。そのC62に4人掛けの客車を連結して走らせるという。生國魂神社の隣の公園に120メートルの線路を敷き、木々を眺めながらぐるっと一周する魅力的な企画だ。

 残念ながら台風12号の影響で、今年の「彦八まつり」の初日(3日)は中止となった。例年、「彦八まつり」は「雨天決行」を謳い、多少の雨でも続けられてきたが、今年は台風到来を予期していたかのように、「荒天中止」が事前に定められていた。中止となったのは開催21年目にして初めてのことだった。雨に祟られはしたものの、4日は予定どおり開催された。3日に予定されていたイベントのほとんどは中止となったが、元々雨天順延の予定だったSL体験乗車は4日に開催された。

 整理券が配られ、老若男女がC62に曳かれた客車にまたがって短い旅に出た。あちこちに水たまりができ、地面が緩く不安定だったため、係の人が脱線しないように列車を抑えて徐行運転をした。途中に撮影ポイントまで用意してある心配りが梅團治さんならではのことだった。見物客が手を振り、乗客は笑顔で手を振りかえす。梅團治さんはシャッターを切り続けている。予定の走行回数を終えたあと、まだ石炭の火が残っていたので、私も追加便に乗車させてもらった。風を切りながら、ゆっくり走るミニSLの旅は爽快だった。それまで見ていた風景とはまた違う景色が目の前に広がり、あっという間にゴールに到着した。みんな草履や靴が泥にまみれても気にしない。誰もが懐かしい昔、純粋な子供の心に戻り、嬉々として楽しんでいた。

 走行が終わり、石炭が片づけられたあとも、そこにいる全員が名残惜しい思いで列車を囲んでいた。口々に精巧な作りやSLの薀蓄を語り合い、何種類かある正面につけるプレートを変えては写真を撮っていた。片づけのために、線路を止めるねじをひとつひとつ外し始めたのを見て、泥だらけの地面にこれだけの線路を敷いた地道な作業に圧倒された。ねじや泥にまみれた線路をきれいに洗い、片づけるのにどれだけの時間と労力がかかるのだろう。楽しく乗車しただけの自分が申し訳ないという気持ちでいっぱいになったほどだ。そんな損得や苦労を度外視したピュアな志が“鉄道魂”なのだろうと思った。

 恒例となっている企画に加え、今回から「笑うこと」を競う「笑い相撲」もスタートした。これは去年の実行委員長の桂ざこばさんの発案で、名物にしていきたい企画だという。SL体験乗車は梅團治さんならではの企画なので、もうSLが公園を走ることはないだろう。落語ファンがSLと出会い、鉄道ファンが落語と出会う。新しい出会いがフィールドをぐんと広げていく。来年の「彦八まつり」は9月1日、2日に開催される。来年はいったいどんな出会いがあるのだろうか。